経験から学んだことを受け継いでいく

事の発端

まさかこんなことになるとは・・・・・・

それは2011年9月に起こりました。
息子の嫁さんからの1本の電話が。
すぐに会って話をしたいとのことでした。

早速待ち合わせの場所に駆け付け、話をすることに。

一昨日から家に帰らず、職場に行ってみたら様子がおかしい。連れて帰りたくても一人では無理なので、とりあえず一人で帰ってきたということ。
2人で息子を探しに行くことにしましたが、結局見つからず、家族会議になりました。

その後、息子の部屋から危険ドラッグのような包みが2つと、お椀の中にお茶っぱのような物が入っているのを見つけました。そこで初めて私は、息子が薬物をやっていると確信したのです。(以前からハーブのようなものを部屋で育てていることは知っていましたが、ただのハーブだと言われて信じていました)しかし実際は大麻草で、ベランダはジャングルのような光景に。

四苦八苦してやっとの思いで息子を家に連れ戻したのですが、一人になりたい 眠りたい の一点張りで、落ち着きのない警戒心の塊のような息子になす術もなくすんなりと逃がしてしまいました。
いつもは無口な息子がせきを切ったように饒舌に喋り捲っている。。。。。。それだけでも怖かった。

やはり麻薬のせいだと確信しました。

弱虫な母親

次の日

明け方4時30分ごろ玄関のチャイムが鳴り、息子が帰ってきました。
本人は車を家に置いていったため、取りに来たのです。車に乗せるのは危ないから家に車を置き、キーは隠しておきました。

入ってくるなり「車のカギは?」とあわただしい様子に、「わからない、、、」と私は答えました。

誰が持ってるのかと激しい口調で問いただす息子に、もしかしたら弟が持っているんじゃないかと答えます。
本人は、夜勤中の弟の職場に行って持ってくるとすごい剣幕でした。

車にはたぶん事前に探し当てた危険ドラッグ以外にも何かがあるかもしれない、だから渡すわけにはいかない

怖い・・・どうしよう・・・・・・・

結局買ったばかりの私の車を渡してしまいました。壊れて返って来るのは覚悟の上です。

後でわかったことですが、本人の目的は車の中にある危険ドラッグでした。
(事前に探して隠しておいたのだが)

たまたま夫は取引先との打ち合わせでその場に居合わせなかったので、息子と二人だけになっていた。

「俺のハーブどこにやった?」

ああ・・・・きた

私一人でどう対処できるのだろう
息子の目はとても怖かった
あれは・・・・・映画に出てくる狼男の目に似ていた
落ちくぼんでらんらんと光っているかのような感じ
こんなの息子じゃない!!

私が産んで育てたあのかわいい子供じゃない!!!

結局怖さのあまり車も、隠しておいたハーブもやってしまいます。

なんと臆病な人間なんだろう・・・・・自分自身に愕然とした。

決心

忘れたくても忘れられない日

息子の早朝の訪問、そして初めて自分の親族が警察に逮捕された日

嫁さんが9時ごろやってきました。息子が子供の保育園の周りを車で通って行ったということで、子供がさらわれるかも、そして他の園児たちに危険が及ぶかもしれないと心配していました。危険ドラッグを持って行ったのでやってるし、ますますひどい状態になっているかもしれないとみんなで心配しました。

薬物だけではなく人を傷つけてしまったら取り返しがつきません。大の男を、しかも麻薬をやってて精神的に危険な状態である男を素人が捕まえることなんてできません。

結局警察署に行く決心をしました。警察で今までの成り行きを話し、なんとか捕獲してもらいたいと頼みました。そして、警官5人が息子を取り押さえたそうです。捕獲された時の本人は、警官の姿を見るとおとなしく素直に捕まったそうです。

警察署での取り調べが始まり、検査をした結果「大麻」も出てきました。あの当時は危険ドラッグ(脱法ハーブ)だけならば罪には問われることはなかったのですが、大麻も所持していたことから、一気に逮捕ということになりました。

一番恐れていたことです。でも、そういうこともありかもと前もって話していたので、それほど大きいショックはありません。ただただ息子がもっと大きい罪を犯す前に捕まったことで、ホッとしました。

取り調べが終わり、部屋から出てきた息子を見たとき、何とも言えない気持ちになりました。
声をかけられません。なんて言ったらいいのかわかりません。
息子の方から「ごめん」と一言、そして「泣くなよ」という言葉

泣くわけないでしょ!!

と言ったのを覚えています。

話したのはそれだけでした。

世間体

大麻所持となれば地方紙に必ず掲載されると聞きました。もちろん住所も・・・・・・・

いくら覚悟の上のことだとはいえ、実際に新聞に出たらきっと動揺を隠せないでしょう。結婚相手の家に同居していたので、もちろん新聞には相手の住所が載るでしょう。

実際に新聞に出たのは暮れに差し掛かった28日でした。

すぐに相手の家に電話しました。

「本当に申し訳ありません」

あちらの家族の憤りは想像出来ました。あまりにも気持ちが昂ったのか、途中で電話を切られてしまいました。

その後も電話の前でしばらく頭を垂れて詫びをいれていた自分が滑稽に思えました。いくら詫びても取り返しのつかないことをしてしまったのです。なにをすればいいのか、どうしたら許してもらえるのか、そんなことをずっと考え続けていました。

しばらくは外を歩くことすら大変になりました。ゴミ捨ての時に近所の人と会わなければいい、買い物はなるべく知り合いのいかないところまで行こう、町内会の役員を辞めさせてもらおう、パート勤めもやめよう、いっそのことこのうちを出よう・・・

そんなことばかり考えました。

ある日近所のお店に買いに行きました。普通の会話をして普通に買えた。

なぁ~んだ。自分が思っているほど人って他人のことなんか気にしてないんだなぁ~

と思う反面、「普通はこんなこと本人の前で露わにするひとなんかいないよね~。。。蔭ではなに言われているかわかんないぞ」と心の声がつぶやいています。

最終的には【人のうわさも75日】とよくいうではないか
と自分に言い聞かせながら普段と変わりない生活を送るしかないという結論に達しました。

ダルクへのきっかけ

幸せに暮らしている娘にこんな事件を打ち明けていいものかどうか迷っていたところに、娘から電話がありました。

「これから子供連れて行くからね」ということ

泣きはらした顔を娘に見られたくないけど、いずれは話さなければならない・・・・・・・

しょうがない。。。。事の詳細を話しました。

電話の向こうで心配そうな様子が伺えました。

そして、娘は「ダルクという薬物依存症回復施設のことをTVでやってたよ」とすぐに教えてくれました。

泣いてばかりいたってしょうがない。お兄ちゃんのことを一番に考えてこれからどう対処すればいいのか相談しよう。ということ

今まで保健所や精神病院など、相談できるところは訪ねていたのですが、納得できる方法が探せませんでした。

そんな時にダルクの情報。これは役に立つかもしれないと思いました。

ダルク

DARC:「Drug Addiction Rehabilitation Center」の略で、その名の通り薬物依存者のリハビリ施設です。ここでは薬物依存者が3~6カ月間、共同生活を送りながら、社会復帰を目指す。

とは、自らも薬物依存症に苦しんだ近藤恒夫さんという方が、61年東京日暮里に薬物依存者リハビリセンター「ダルク・デイケア・センター(現東京ダルク)」を開設したのが始まりで、現在は全国展開でアルコール依存症・ギャンブル依存症などを含めた支援を行っている施設です。

結局動いたのは、それから1週間たったころです。

夫ともよく話し、娘も毎日のように来てくれてなんとかしようと努力してくれましたが、嫁さんとの兼ね合いもあるしダルクまで行くような状況なのかと決めかねていましたが、とりあえず話だけでもしてみようと意を決して行ってみる決意をしました。

前の日に仙台ダルクに初めて電話をしました。

若い男の方が応対してくれました。事のいきさつをお話しして、相談に伺えるかどうかを確認しました。

とても丁寧な口調で応対していただき、なんとなく安心しているところに、別の方の声が聞こえてきました。

「明日の10時半に来てもらって~」と言っていたようです。
どすのきいた声で、「この人が代表の方なんだろうなぁ~」と感じましたが、なんとなく恐かったです^^;

不安を覚えながら、夫・娘・孫(生後5か月)???・私の4人で訪ねました。

場所は仙台の繁華街の中心地にありました。

おそるおそる中に入ると、昨日電話に出ていただいたかたでしょうか?若い男の方が迎えてくれました。
優しそうな面立ちで落ち着いた感じです。事務室へ案内してくれて、コーヒーを運んでくれました。代表らしき方の姿は見当たりません。しばらくその方に話を聞いていただきました。

薬物依存症とはどういうものなのかを説明してくれました。

薬物依存症とは心の病気だということ。やめるのではなく『今日一日やらない』という信念をもつこと。たかが大麻だけという観念は間違っているということ。大麻から覚せい剤に発展する確率は大だということ。

などなど・・・・・・

そうこうしているうちに、あの野太い声の方が現れました。(仙台ダルク代表の飯室勉さん)
「いや~どうもどうも!今日でしたね。忘れていましたよ。ハハハハハ!!」と豪快に笑いながら挨拶が済みました(笑)

思っていた印象とは違い、大柄で気さくな人懐こそうな顔立ちが印象的でした。

最初に私たち夫婦の関係を聞かれました。どう感じたのか、「お父さんはお酒好きですか?」。主人は毎晩寝るまでお酒を飲んでいる人です。そして、「お母さんはお父さんにとても従順なんでしょうねぇ~」

と、ずばり夫婦の概要を言い当てたのです。

まいったなぁ~・・・・私たちは丸裸にされたみたい・・・・・・・・

家族会への参加

ダルクは薬物依存症者の回復だけが目的ではなく、その家族の心も回復させようという視野に立って営まれています。そのための手段として「家族会」があります。

家族会では同じ悩みを持つ者同士、人には言えない心の内を分かち合いながら家族の傷ついた心も癒しながら、薬物依存症という病気について学んでいこうということにも取り組んでいます。

初めてダルクに行った時に、参加するように勧められました。

月1回開かれる仙台ダルク内での家族会に初めて参加させていただいたのは、それから2,3日後だったと思います。

参加された方の話をいろいろと聞かせていただき、とても感銘を受けて帰ってまいりました。

薬物依存している本人を助けようと、家族が努力をすればするほど深い穴に入り込んでしまうのが薬物依存症の本人と家族の関係だということです。

本人を薬物依存から救うただ一つの方法は、本人との関係を一切断ち切ること!!

絶対にやれない。そんなことしたら本人が余計に悪くなってしまうかも・・・・・
死んでしまうかも・・・・・・・

そう思うのは家族として当然のことですよね。

でも、家族会に行って驚いたのは、散々苦労して地獄を見てきた人たちとは思えないほど明るい雰囲気でした。

その後、毎月火曜と日曜にある家族会へは殆ど参加させていただいていたんですが、頭の中が混乱していたのが事実です。

本人は裁判で「懲役6か月、執行猶予3年」という判決を受けます。

この間に起こった出来事は、ストレスも多く普通の精神状態では到底耐えうるものではなかったように思えます。
新聞に2回掲載されたこと、本人の嫁さんが精神的な病気を患ったこと、そして離婚・・・・・・
予期していたこととはいえ、実際に起こってみるとかなりの打撃でした。

本人の裁判が終わり、釈放されてからしばらく同居しました。しかし、ドラッグを止めるどころか、部屋には使い終わった危険ドラッグの包みがあちこちに落ちていたのです。夫にそのことを告げ、その日の夜家から出す決心をしました。家族会で教わったことを実行する時だと決心しました。

その光景は、おそらく死ぬまで頭の中心を駆け巡って忘れることができないでしょう。ここでその様子は言葉に出来ません。それほどの修羅場だった・・・・

でも、もし家族会に参加していなかったらもっと過酷だったと思います。
家族会の方々に励まされ、アドバイスを受けたからこそ今現在があるのだと思っています。

感謝です

あれから10年余り、現在は仙台と山形の家族会に参加させて頂いています。
今は先行く仲間として、ビギナーの方に意思を受け継いでいくことで、自分自身の成長の糧にしています。
本人は結局ダルクとは繋がらなかったのですが、手放したのが自立に繋がり、今ではしっかりと地に足をつけて仕事に趣味に楽しんでいるようです。

最後まで読んでいただき、有難うございました。

タイトルとURLをコピーしました